■攻城年月日
2012/吉日
【歴 史】
承久3年(1221)、阿波の守護職として信濃の深志(現:松本市)から来た小笠原長清が築城したという。別名は「池田城」。南北朝時代、小笠原氏は北朝方と対立。小笠原氏が13代260余年居城。13代義長のときこの城を去り、勝瑞城(同県板野郡藍住町勝瑞)に移り三好氏を名乗る。
その後、大西氏、長宗我部氏が領有。蜂須賀氏の阿波領有後、城番として牛田氏が入城。元和の一国一城令で廃城となる。寛永年間に破却。
memo
吉野川沿いの小高い台地にある城。台地の先端部にある諏訪神社は城の規模や位置的に城地だった可能性あり。
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