松山城 matsuyama-castle 愛媛県松山市丸之内

天守曲輪全景/続櫓(左列) 一の門/大天守(右列)


別名 勝山城 築城年代 慶長6年(1601)
縄張・種別 連立-連結式/平山城 築城者 加藤嘉明
遺構 天守・石垣・門・塀・櫓 etc
復原 小天守・南隅櫓・馬具櫓・乾門・本壇長塀
国指定 史跡 重文=天守・野原櫓・乾櫓・紫竹門・三の門 etc
攻城年月日 2001/6/28


【歴   史】
慶長6年(1601)賤ケ岳の七本槍といわれる抜群の活躍をした加藤嘉明(よしあきら)が、関ケ原の合戦での戦功で6万石から21万石となり、松前城では手狭になったので、幕府の許可を得てこの地に築城を始める。
標高132mの勝山山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を配置し、20万石には過ぎた立派な城だ。
寛永4年(1627)嘉明は40万石で会津若松へ移封となる。
蒲生忠知(がもうただとも)が入封し築城工事を引き継ぎ、二の丸を造営。8年後忠知は京で亡くなり、後継ぎがいなかったのでお家断絶となった。
寛永12年(1635)桑名城より松平定行が入封し、同16年5重の天守を3重に改造。
天明4年(1784)落雷により天守閣を始め建物群を消失。藩の財政逼迫もあり、文政3年(1820)に再建に着手するが工事はなかなか進まず、一時頓挫したりしながら弘化4年(1847)に再開。
安政元年(1854)完成。
松平氏15代235年に亘り在城した。

photo:ばつまるさん


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