丸亀城 marugame-castle |
香川県丸亀市一番町亀山公園 |
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螺旋状の石垣と天守
讃岐富士(飯野山)を背景に、城が建つ山は標高70メートルで石垣の累計高さは60メートル。
三層三階、二層目の唐破風がワンポイントになっている。 |
天守(左) 大手高麗門(右) |
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別名 |
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亀山城 |
築城年代 |
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慶長2年(1597) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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生駒親正 |
遺構 |
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石垣・堀・天守・門・土塀・番所・井戸 etc |
復原 |
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国指定 |
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史跡 重文=天守・二の門・一の門 |
攻城年月日 |
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2001/7/4 |
【構 え】
平野部に独立した小山を利用し、本丸・二の丸・三の丸を頂上におく。
藩庁や藩主の御殿を山裾に配して、これらを石垣と堀で囲い、4段階に石垣が積まれている。
日本一高い城壁だ。
【歴 史】
慶長2年(1597)讃岐一国17万石の生駒親正が高松城の出城として5年を費やし築城。長男一正が入城。
元和元年(1615)一国一城令により、支城なので破却される。
親正は万が一を考慮して、土を盛り石垣を隠し樹木でおおった。
寛永17年、お家騒動がきっかけで生駒家は出羽国(秋田)へ転封となる。
翌18年、讃岐国は二分割され東は松平12万石、西は九州天草から山崎家治5万3千石の所領となった。
讃岐入りした家治は、すでに廃城となっていた丸亀城を2年かけて修復したが、3代わずか17年で跡継ぎがなくお家断絶。
万治元年(1658)京極高和が入城、7代220年で明治維新を迎えた。
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photo:ばつまるさん |
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