高仙山城 kouzezan-castle 愛媛県今治市菊間町種

空堀/本丸跡(左列) 堀切/腰巻土塁(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【歴   史】※高仙山城跡の碑より(原文は漢字とカタカナ)
寛治4年(1090)此の地に加茂別雷神社、貴布祢神社祀られてあったが、数度の遷座の末、賀茂神社は菊間へ、貴布祢神社は岩谷へ移される。現在の高仙神社には加茂別雷神社と貴布祢神社が祀られ、池原神社には城主池原兵部通成以下将を祀る。
正平年間(1346年頃)伊予の名門河野一族である池原近江守通去が山城を築き居城とする。永禄年間(1558年頃)池原兵部通吉が城主となる。
天正13年(1586)7月豊臣秀吉が天下統一のため小早川隆景に命じて四国平定軍を起こす。隆景は数万の大軍を率い、来島道総を先兵として新居浜に上陸、連戦連勝破竹の勢いで東伊予の諸城を陥し入れ、重茂城、無宗天城を降伏させて高仙山城を攻める。時の城主池原兵部通成は、200余名の兵を率いて大門大松山(伊予亀岡駅付近)に迎えて防戦につとめたが多勢に無勢、大門大松山は破られ(今も此の地に当時の戦死者を祀る仙人塚あり)長谷の山崎の砦も落とされて残兵わずか19名と共に城に引揚げる。高仙山城では決死の攻防が続けられたが、遂に刀折れ矢は尽きはて、谷に充満する大軍を眺めながら、若干19歳の勇将通成自刃し、高仙山城と共に生涯を終える。時、天正13年7月13日、眞っ赤な夕日が西の海に沈む頃であった。

臨場感あふれる石碑文に感動。(^−^)


memo
小さな山城ですが遺構は結構残ってました。

photo:ばつまるさん


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