別名 |
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吹揚城・美須賀城 |
築城年代 |
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慶長5年(1600) |
縄張・種別 |
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---/平城(水城) |
築城者 |
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藤堂高虎 |
遺構 |
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石垣・堀 |
復原 |
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模擬=天守 復元=武具櫓 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2001/8/5 |
【構 え】
築城当時は5層6階の天守閣が聳え、9基の櫓が屹立していた。
海を航行する船からの眺めは威圧的であり、”日本のゼーランディア城”と呼る。
-memo-
ゼーランディア城とは、寛永元年(1624)和蘭(オランダ)が台湾に築いた海岸要塞。
城の特徴は、海を生かした縄張りで、三重の堀をめぐらせ海水を引き込み守りを固め、城内には広大な船溜りを設けていつでも軍船が出動できるように準備されていた。
【歴 史】
慶長5年(1600)、伊予宇和島城主であった藤堂高虎が、関ヶ原合戦の戦功により203000石の大名に抜擢され、当時”今張(いまばり)浦”と呼ばれていたこの地に城を築いた。
慶長13年8月、高虎は伊勢国津城へ移封となり、松坂城や伊賀上野城を築くが、本拠を移すごとに名城を築き、築城名人として高い評価を受けている。
同年、娘婿の藤堂高吉が入城、27年間城代を勤める。
寛永12年、松平定房が入城、10代235年を経て明治維新を迎える。
明治初年に建物はすべて取り壊された。
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