二上山城 futagamiyama-castleya 鳥取県岩美郡岩美町

城攻隊員にゃご太郎@コケルどのの生活がかかっているので、今回は案内板イラストでお許しください。(T_T)
そのうち有無をいわさず登山させますから。


攻城年月日
2008/6/吉日


【構   え/歴   史】※案内板参照
二上山城は、南北朝時代、文和年間(1352-56)に、そのころ因幡の国(鳥取県東部)に勢力をのばしていた山名氏により築城されたと推定されており、後に因幡の国の守護所とされた。
現在、標高346.6メートルの山頂にある一の平を起点とし、北東方向へ二の平、三の曲輪と展開する主要部のほか、8ヶ所の出城の跡が残されている。
巨濃郡(現在の岩見町・福部村)で産出される金・銀・銅といった鉱産資源、当時の因幡の国の中心地であった現在の国府町方面への交通路の確保、そして古くからの海運で栄えた岩本の湊をおさえるといった経済的な面を持つ一方で、二上山城は軍事的・戦略的にも非常に優れた立地条件を備えていたと考えられる。
日本中を争乱の渦に巻き込んだ南北朝時代には全国各地に数多くの山城が築かれたが、その一つであるニ上山城は、戦いのための機能のみを備え、住居施設としての役割が完全に分離された典型的な南北朝期の山城といえる。
しかし、標高300メートルを越える山城は麓の館と離れていて不便であること、また因幡守護所としては位置的にあまりに但馬の国(兵庫県西部)よりであることから、やがて守護所移転という事態をむかえた。
また戦国時代の半ばになると、城は軍事面以上に、政治・経済といった社会的中心地としての性格をよりはっきり持つようになった。鉄砲の出現に代表される戦術の変化なども追い討ちをかけ、やがて二上山城は城としての機能を失っていった。

【攻城記】
たどり着くまでに1時間以上かかるようなところが多く携帯が通じなくなるので仕事柄、往復2時間以上も音信不通になるとマズイので。(パラの時はというと飛行中でも電話に出れるように工夫しています。)添付写真のように登山口までは行けるんですけどね。

photo:にゃごりんさん


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