福山城 fukuyama-castle 広島県福山市丸之内町

大天守と小天守
天守は5重6階。
伏見櫓
元和6年(1620)の築城当時、京都伏見城から移築されたといわれる。
筋鉄(すじがね)御門
本丸虎口にあり文禄年間(1592〜96)に建てられた。



別名 葦陽城・久松城 築城年代 元和5年(1619)
縄張・種別 梯郭式/平山城 築城者 水野勝成
遺構 石垣・伏見櫓・太鼓櫓・筋鉄御門
復原 復興=天守・月見櫓・鏡櫓・時鐘櫓・御湯殿
国指定 史跡 重文=伏見櫓・筋鉄御門
攻城年月日 2001/8/5


【構   え】
縄張りは江戸時代初期の様式で、当時流行の方形を基本としている。(当然実戦経験無し)
天守は、5層6階で「物見の段」と呼ばれ、最上階には高欄つきの縁をめぐらし、5層までは三面が塗り籠壁、北側は鉄板張り。
東南隅に外観2層内部3階の付櫓があった。
本丸を中心の高台に配し、多くの櫓を配置した二の丸、内堀をはさんで多くの門を備えた三の丸が周囲をとりまいていた。

【歴   史】
元和5年(1619)備後(広島県)一帯を領土としていた福島正則が信州川中島へ減封され、空いたところへ徳川幕府は家康の従弟であり譜代大名の水野勝成を入封させ、西国大名、特に毛利氏の押えとした。
同6年、勝成は領地を見分し瀬戸内海へ注ぐ芦田川のほとりこの地に新城を築いた。
元禄11年(1698)5代目の城主が幼くして亡くなったため世継ぎがなく改易となる。家臣が悔しがり、ろう城して一戦しようという話も出たらしい。
その後、奥平松平忠雅が城主となる。
宝永7年、阿部正邦が入城し、阿部氏10代160年間在城した。阿部氏は多くの老中職を生んだ家柄で、正弘は幕末のペルリ来航時の筆頭老中であり、日米和親条約を締結したひとである。

photo:shing02さん(上1葉)/ばつまるさん


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