■攻城年月日
2008/早春
【歴 史】
大永4年ごろ(1524)、蜂塚氏の築城と伝えられる。蜂塚氏は伯耆国日野郡一帯を支配していた国人衆「日野衆」のひとり。
初代の蜂塚安房守、2代の三河守、3代の丹波守と続き、永正年間(1504-1520)に侵略してきた尼子氏に属す。永禄年間のはじめ、4代当主の右衛門尉の代に毛利氏に通じるようになるが、再び尼子氏へ帰参。その後、永禄8年(1565)、毛利氏の家臣である杉原盛重に攻撃され落城。以後は毛利氏の武将が入城。
別名は「江美城」。石垣や空堀や曲輪跡とうの遺構あり。
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