鶴亀城 tsurukame-castle 長崎県南高来郡国見町神代

城址の碑/二の丸跡(左列) 大堀切跡/鍋島信房公と菅原道真公を祀る神代神社(右列)


別名 神代(こうじろ)城 築城年代 鎌倉時代後期
縄張・種別 ---/平山城(海城) 築城者 神代貴益
遺構 曲輪跡・石垣
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2004/4/12


【歴   史】
鎌倉時代後期に神代貴益により築かれ、代々神代氏が居城とした。
神代氏の歴史は古く、神功皇后遠征のおりに武略をさずけた「武内宿禰(たけのうちすくね)」の後裔だという。応仁の乱以後この地にやってきて有力武将に成長したらしい。
天正12年(1584)に龍道寺隆信 Vs 島津義久・有馬晴信「沖田畷(おきたなわて)」の合戦が勃発!隆信は自ら2万5千の大軍を率いて居城である須古城を発し、鶴亀城に本陣を置いた。島津・有馬連合軍6千は沖田畷に陣取る。結局、肥後から救援にかけつけた島津家久の”釣り野伏せ”戦法で龍道寺軍は壊滅し、隆信は討ちとられてしまった。
この戦で鶴亀城主の神代貴茂は城にたてこもり寄せ手の有馬勢をよく迎えうった。戦の後、有馬氏と和睦した貴茂であったが多比良城で晴信に謀殺されてしまったという。
天正15年の豊臣秀吉九州征伐で、鍋島直茂に神代領3000が与えられ陣屋が置かれた。

【攻城記】
神代の鶴亀城跡は本丸に神代神社と稲荷社。
本丸と二の丸・三の丸を分ける大堀切は今は道路、二の丸・三の丸跡は耕地化。

photo:ばつまるさん


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