別名 |
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築城年代 |
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天喜元年(1053) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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長谷場永純 |
遺構 |
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曲輪跡・土塁etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2006/1/吉日 |
【歴 史】
天喜元年(1053)長谷場永純(藤原純友から4代目)が築いた。また、三州(日向・大隈・薩摩)としてはじめての城だといわれる。
南北朝時代(1336-92)にはこの城をめぐり激しい攻防が行なわれた。
この頃、鹿児島を本拠にしていた長谷場・矢上・中村・上山・谷山の各氏は南朝軍に加わり、出水の山門院から鹿児島入りした島津氏は北朝軍に属していた。両者は激戦を続けたが1343年5代島津貞久は東福寺城を攻め落とし、鹿児島をおさめる本拠地とした。
さらに勢力を拡大した島津氏は8代元久のとき清水城に移った。
※清水城 住所:同市坂元町稲荷ノ上
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