里-地頭仮屋 sato-jitoukariya 鹿児島県薩摩郡里村里



攻城年月日
2003/10/3


【歴   史】
江戸時代初期、薩摩藩には87の郷があり、甑(こしき)島もその一つであった。
各郷には地頭が任命され、地頭仮屋(役所)が置かれると、その回りに館(武士の集落)がつくられた。これを「外城制(とじょうせい)」という。
慶長16年(1611)甑島郷には”甑島移地頭”が任命され、元和5年(1619)本田伊賀守がはじめて来島した。薩摩藩は以来30数代の地頭で甑島郷を直轄地として治めたが、地頭仮屋は、里・手打・中甑にあり、地頭は里から中甑そして手打と居場所を変えていったと考えられる。
当時の地頭仮屋は、里小学校校庭(写真_右上)の大半を占めていて、館(写真_右下)は村西地区にある。
武家屋敷はそれぞれ200坪の規模で数百mにおよぶ石垣が続く。また、校舎の奥にある小高い丘が亀城跡。

photo:ばつまるさん


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