別名 |
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舞鶴城 |
築城年代 |
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縄張・種別 |
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梯郭式/平山城 |
築城者 |
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遺構 |
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石垣・空掘・土塁 |
復原 |
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大手櫓門・松尾の丸御殿 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2001/1/29 |
【歴 史】
長禄2年(1458)島津氏が一族の新納(にいろ)忠継を鹿児島からこの地に据えたのが史実にみえるはじまりだ。
忠継のあとには、島津忠廉が大隅の帖佐(ちょうさ)城から入り、忠朝、忠広、忠親と続いた。永禄5年(1562)忠親のとき、伊東義祐に攻められ城を奪われるがすぐ取り返した。永禄11年に再び義祐に攻め込まれ、再び奪われ、城は義祐の二男祐兵(すけたけ)が城主となるが、その後、また島津氏に戻る。
豊臣秀吉の九州征伐のおり、また祐兵の手に帰すこととなった。祐兵は秀吉の家来となり5万石をもらう。
なんと100年間も両者の「城取り物語」が続いたのだ。(~_~;)
50mの高さをもつ本丸城址、西方の断崖、松尾丸、石垣、城壁づくりの建物が現存する。
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