別名 |
|
東蓮寺館 |
築城年代 |
|
寛永2年(1625) |
縄張・種別 |
|
---/陣屋 |
築城者 |
|
黒田隆政 |
遺構 |
|
石垣・堀切 |
復原 |
|
--- |
国指定 |
|
--- |
攻城年月日 |
|
2004/7/31 |
【説 明】
-by ばつまるさん-
直方館は黒田長政の四男隆政が父の遺言により
4万石を分知され東蓮寺藩を起こしたのが始まりですが、小藩の陣屋だった事もあり、城跡の雰囲気は殆どありません。
かろうじて多賀神社の駐車場や多賀公園に郭の雰囲気や、石炭記念館に通じる道に堀切跡らしき感じがありますがはっきり言って当時のモノかは疑わしいです。
黒田隆政、通り名に官兵衛を与えられる事からして、父長政の期待が大きかった事が伺えます。
逆に長男忠之には危うきものを感じていたのか、長政は黒田の跡目は継がせずに坊主か商人する気だったそうですから、黒田の二代目(実質三代目)の質は大したもの無かったのでしょうね。
実際こいつはお家騒動で危うく藩を失いそうになったし、領内で問題を起こす事も度々。
官兵衛や長政の名声が大きいだけに余計矮小な人物に感じます。
こんなやつでも戦国期なら武将としての活躍の場があったのでしょうが、既に戦乱の時代が終わった後ではチカラを発散させる機会が無かったのでしょうね。
凡庸な殿様になりきれなかった二代目の悲哀でんなぁ・
|
|