別名 |
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月瀬城 |
築城年代 |
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室町時代 |
縄張・種別 |
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---/沼城 |
築城者 |
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麻生氏 |
遺構 |
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復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/7/31 |
【構 え】
城址の丘陵は高さ20mの円錐状で、すそ野に水掘りの名残がみられ、現在、月瀬八幡宮の社殿がある。
名の由来は、猫が背中を丸めた姿に似ているとか、敵が攻めてくれば高くなり城から攻め下るときには低くなり、まるで猫のようだといわれたとか。頂上からは宗像・鞍手・遠賀が一望でき、要害の地であった。
【歴 史】
山鹿城にあった麻生元重と宗像大宮司氏貞は、度重なる合戦にも決着がつかず、天正6年(1578)、遠賀川の東は麻生領、西は宗像領とした。
氏貞は家臣の吉田倫行に雑兵150名をつけ猫城に配属。
天正8年5月、豊後の大友氏(立花道雪という説もあり)の指令を受けた鷹取城主毛利鎮実が攻め込むが、宗像勢は激戦の末これを討ち破ったという。
その後、宗像氏は病死、家督を継ぐ者もなく、猫城は廃城。
【攻城記】
猫城は宗像氏の東の端城で、豊前毛利氏や麻生氏の動きを監視する重要なお城でした。
お城と言っても規模は極めて小さい砦ですが城の周りを深田や濠に囲まれた要害で、毛利氏の攻撃に耐えた縁起の良い城です。
現在月瀬八幡の境内となった城跡ですが、社務所の裏には宗像を象徴する花「かのこゆり」が群生し、城跡と宗像の繋がりを感じさせずにはいられません。
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