■攻城年月日
2005/5/5
【歴 史】
標高145mの通称「城山」に16世紀中頃松浦党の源壱(ichi-minamoto)が築いた。別名「牛ヶ城」ともいう。
壱は朝鮮・中国沿岸で貿易を行なった倭寇のひとりで、のちに朝鮮から図書(貿易許可書)を受け、正式な貿易者となった。
頂上の主郭部に二重の堀がめぐらされ、築城当時から堅固な造りになっていたことをうかがわせる。
【攻城記】
生池城は多分ここに行けばなにかヒントがあるだろうと、壱岐風土記の丘に行ったところビンゴ!
見事生池城の位置が描かれた案内板を発見。でも実際の生池城は絵のような切り立った険しい山ではなく、山姿穏やかな小山でした。
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