別名 |
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鶴丸城 |
築城年代 |
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永和元年(1375) |
縄張・種別 |
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築城者 |
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北郷義久 |
遺構 |
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曲輪跡・土塁・空堀 |
復原 |
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模擬=大手門 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2001/1/29 |
【歴 史】
永和元年(1375)島津氏一族の北郷義久が築城した。
北郷氏の祖は島津宗家4代の子・資忠で、観応2年(1351)足利氏より領地を拝領し、迫(宮崎県山田町)に館を構えたのがはじまり。2代が義久で都城を代々の居城とした。文禄4年(1595)薩摩祁答院(けどういん)へ移封される。
島津氏の家臣であった伊集院忠棟が豊臣秀吉の命により8万石で入城。秀吉の九州出征あたりから主家をないがしろにして盛んに取り入っていたらしい。後に忠棟は島津家久によって誅殺され、慶長4年(1599)忠棟の子・忠真が庄内で謀反の企てあり(庄内の乱)として成敗された。
北郷氏復帰!忠能が旧領へ戻ったが、元和元年(1615)の一国一城令で廃城。
北郷氏は領主館(陣屋)を築き、明治維新までこの地を治めた。
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