三池陣屋 miike-jinya 福岡県大牟田市三池



別名 --- 築城年代 元和元年(1621)
縄張・種別 ---/平城 築城者 立花種次
遺構 表門(市内の寿光寺に移築)
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2004/1/8


【歴   史】
元和元年(1621)2代藩主・立花種次が常陸国(茨城県)より1万石で三池に復帰したことにはじまる。
さかのぼること、立花宗茂(高橋紹運の長男)の実弟・直次は高橋家を継いだが、後に兄と同じく「立花」姓を名乗り、関ヶ原合戦では兄と共に西軍に味方したので三池領を没収された。徳川幕府より常陸に5千石の領地を与えられていたが、直次の子・種次のときに5千石を加増され、1万石三池に帰ってきたのだ。
6代・種周は若年寄にまで出世するが失脚。子・種明は陸奥国に移封。その後は5千石の旗本となる。
明治元年、種明の子・種恭がまた5千石の加増、1万石で三池に復帰した。

現在は三池小学校の敷地となっている。学校の前身は7代藩主・立花種周が学問所を設立。後の種恭が「修道館」と命名。

【攻城記】
三池陣屋は柳河の藩祖・宗茂ちゃんが最も信頼した男 立花種次、そう実弟・高橋統増のお住まいで、兄宗茂の柳河との領境の街道近くに建てられたお住まい。
父・紹運の死後、常に兄と行動を共にし時には影に、また時にはその手足として働いた種次らしく事あればすぐ柳河に駆けつけられる様な位置にある陣屋です。
ただ、今現在の三池陣屋跡は三池小学校となり その遺構・遺物は全て失われ、平地にあった陣屋と言う事もあって、その地形から陣屋の形態を想像する事も叶わない状態です。

photo:ばつまるさん


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