別名 |
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亀ヶ城・城山 |
築城年代 |
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鎌倉時代 |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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串木野氏 |
遺構 |
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堀切・石塁・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/10/3 |
【歴 史】
串木野氏は5代城主のとき南北朝合戦で南朝方に味方して、島津の5代・貞久と戦い、興国3年(1342)頃城は落とされ、同族(祖父ともいう)の知覧氏の元へ逃げた。それ以降当地は島津の支配となる。文明6年(1474)島津氏一族の川上氏が城主に任ぜられ3代勤める。
15代島津貴久は山田氏を串木野・市来の地頭に任じ、17代義弘は弟家久を地頭に任じた。家久は10年間地頭職にあったが、日向(宮崎県)佐土原の領主となりこの地を離れた。その後、文久3年(1863)まで30名の地頭が治めたという。
西の支城として浜ヶ城、東の支城として栫城があった。
【攻城記】
串木野城の本丸は倒竹で道が塞がれまるで竹矢来。
でも半分は既に腐ってて踏めば簡単に割れて通るにさほど苦労しませんでしたが、郭跡は草ぼうぼう・・・。
土塁、折れひずみ等の遺構があるはずだが
駅に近い丘陵地と言う事もあって宅地化が進み、どこがどうなのか判別付きにくくなってます。
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