久留米城 kurume-castle 福岡県久留米市篠山町

大手側の石垣/蜜柑櫓付近の石垣(左列) 本丸井戸跡/蜜柑櫓付近の掘(右列)


別名 篠山城・雨城 築城年代 永正年間(1504〜20)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 土地の土豪 某
遺構 本丸跡に石塁・堀
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2003/8/3


【歴   史】
永正年間(1504〜20)土地の土豪により創築されたと伝えられる。
筑紫平野を流れる筑後川の中流に位置し、古くから要害の地であり、城は「篠山城」と称した。
天文年間(1532〜55)荒廃していた城を御井郡司が再興。
天正年間(1573〜92)高良山座主良寛の弟鱗圭が城主となる。
天正15年豊臣秀吉の九州平定後に入封した毛利秀包(ひでかね)が南西部の蜜柑丸に新城を築いた。
関ヶ原合戦後、柳川城主田中吉政の支城となるが、嗣子がおらずお家断絶。
元和7年(1621)有馬豊氏が入封、筑後5郡の大名となる。豊氏は摂津有馬郡三田城主則頼の子で徳川家康に仕え、関ヶ原合戦の戦功により丹波福知山6万石に封じられ、さらに大坂の陣の功で久留米城主となったのだ。豊氏は城を大改修。
以後有馬氏11代248年在城。
城内には藩祖豊氏および歴代藩主を祀る篠山神社がある。

photo:ばつまるさん


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