唐津城 karatsu-castle 佐賀県唐津市東城内



天守(左)
舞鶴橋と城山/巽櫓(右列)






別名 舞鶴城 築城年代 文禄年間(1592〜95)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 寺沢広高
遺構 石垣
復原 模擬=天守・二重櫓・本丸櫓門
国指定 ---
攻城年月日 2001/3/27


【歴   史】
諸説あり。
文禄年間(1592〜95)豊臣秀吉の腹心寺沢広高が築城。一説には、この辺りの領主波多氏を改易し、広高を移封させたとき、すでに城があったといわれる。朝鮮征伐のため名護屋村に本営を構えたとき、後詰めとしての役目があった。
関ケ原の合戦で、お家安泰を計り寺沢氏は徳川方に味方する。
寛永10年(1633)二代目堅高のとき領内で島原の乱勃発!領内統治不行き届きの罪で家禄を召し上げられ、堅高は自害して果て家名断絶となった。
慶安2年(1649)大久保氏2代30年から、松平氏3代14年、土井氏4代72年、水野氏4代55年と続く。
文化14年(1817)小笠原長昌が、奥州(福島県)の棚倉藩から入城し、5代2年で明治維新を迎えた。前述べの水野氏4代目は「天保の改革」で有名な水野越前前忠邦である。
版籍奉還後は堀も埋められ、荒廃のなかに城門と石垣が残されていた。

5層5階地下1階(模擬)の内部は郷土博物館。

photo:ばつまるさん


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