亀城 kame-castle 鹿児島県薩摩郡里村城山

攻城年月日
2003/10/3


【歴   史】
亀城と鶴城、あわせて「亀鶴(きかく)城」という。高所から見るとその形が、鶴・亀に似ているのが名の由来。ちなみに鶴城跡は亀城跡から南東200mの丘にある。
亀鶴城は、もと甑(こしき)隼人の城であったといわれる。甑隼人は阿多隼人、大隅隼人などと共に早くから朝廷に仕え皇居の警備などにあたっていた。鎌倉時代に、甑島は小川氏の所領となり13代370余年この亀城を本拠として治めた。小川氏は日野宰相宗頼の子孫で武蔵国多西郡小川郷(現・東京都あきる野市)より起こった豪族である。
承久の変(1221)に小川小太郎季能(すえよし)は、鎌倉方につき北条義時の軍に従い宇治川の戦いで手柄をたて、甑島地頭に任じられた。季能の子・小太郎季直が甑島に入り、ここを支配し、のち上甑島は塩田備前守にあずけ、小川氏は下甑島手打に住まいを移したという。

【攻城記】
亀城は元々甑隼人の砦城だったのを小川季直が城郭として手直ししたもので今現在は公園として整備され、当時の様子を偲ぶものは殆ど無くなってます。
土塁・石塁と思われるものも小学校や幼稚園への土砂災害を防止する為斜面の崩落防止工事が施され、どこが当時のものやら・・・

本丸跡/鶴城より亀城を臨む/土塁?(上から)
thoto:ばつまるさん


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