別名 |
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舞鶴城・石城 |
築城年代 |
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慶長6年(1601) |
縄張・種別 |
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梯郭式/平城 |
築城者 |
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黒田長政 |
遺構 |
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天守台・多聞櫓・潮見櫓・橋門(大手下)・石垣・堀
etc |
復原 |
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国指定 |
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史跡 重文=南丸多聞櫓 |
攻城年月日 |
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2001/3/27 |
【構 え】
城郭総面80万平方m・内城面積24万平方m。
天守の建築計画は当初からなく、本丸・二の丸・三の丸からなっている。
外郭北側は博多湾、西は草香江、東は那珂川、南は備前堀に囲まれた壮大な造り。
潮見櫓・月見櫓・花見櫓とう大小47の櫓があった。
堅城を誇った朝鮮の晋州(しんしゅう)城をモデルにしたといわれる。
【歴 史】
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で功績のあった豊前(大分県)中津城の黒田長政が、18万石から筑前52万石に増封され小早川氏の居城であった名島城へ入城した。しかし、名島城は立地が悪く手狭でもあり、新たに那珂郡警護(けご)村福崎に≒7年の歳月をかけ大城郭を完成させた。
黒田孝高(如水)・長政父子は名築城家としても名高い。
地名を黒田氏発祥の地、備前(岡山県)邑久郡福岡村にちなみ「福岡」と改名。
黒田氏12代270年間在城。
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