別名 |
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龍尾城 |
築城年代 |
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元弘年間(1331〜34) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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細川小四郎義門 |
遺構 |
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掘・土塁 |
復原 |
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天守櫓(模擬) |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/8/4 |
【歴 史】
綾は南北朝のころ、地頭である伊東氏の領土となるが、島津氏・土持氏(日向宇佐八幡宮の神官職田部氏が八幡宮領の荘官から豪族になった)との争いが続いた。
元弘年間、足利尊氏の家臣細川小四郎義門がこの地を領し、その子義遠が綾城を築城、姓を「綾」と改めた。
室町時代(8代将軍足利義政のころ)、都於郡(とのごおり)城を本城とする伊東氏(当時は大豪族)の家臣に組み入れられ、綾城も伊東氏48城のひとつとなり、対島津戦の重要な拠点となる。天正5年(1577)島津氏に伊東氏が敗れて領土を追われ、豊後(大分)へ落ちると島津氏の支配を受けるようになった。
元和元年(1615)の一国一城令により廃城となるが、島津氏により地頭が置かれたという。
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