homereports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
A bow/弓の話


弓の名手が戦を征する
平安・鎌倉・南北朝までの合戦は弓なしには語れない。室町時代になり鉄砲に代わられるまでは飛び道具の主役の座にあった。
弓名人は全国に名が知れ賞せられ、那須与一(なすのよいち)に代表されるようにまさに合戦場のヒーローとして歴史に名を残した猛者も多い。
弓の技術は難しく、一人前の射手になるには長い間の訓練を要した。
鉄砲が広く普及してからも射程距離においては50メートルとかなわないものの、連続して射ることができるので、弓隊と鉄砲隊は同じチームで戦に臨んだ。
memo
那須与一とは
生没年_不祥
下野の国(栃木県)那須出身の鎌倉時代前期の武将。文治元年(1185)2月、源平合戦のとき源義経軍に属し、屋島の戦で平家側の舟に揚げられた扇の的を、海中に馬で乗り入れ見事に射落とした。

すぐれもの
鉄砲と比較すると射程距離・命中率・破壊力では負けるが、値段が安いく手に入りにくい消耗品もないので大勢の足軽隊を編成できる。
使い手にしても暴発する心配もないので安心だ。もちろん全天候型!しかも矢と弦のストックさえ充分で腕が立つならいつまでも射続けられ、不発もない。
ちなみに弓道のはじまりは、戦国時代が終わるといろいろな流派に分かれはしたものの弓道として残り、明治時代になり武道として一般の人も習うようになったのだという。

取扱い方指南
これが弓足軽の装備だ。腕に自信の名手は、矢に自分の名を書いたりして敵陣へ放った。

詳しく調査をしてみよう。
「取り扱い」といってもお手入れが主なので、このコーナーでは装備品を詳しく書いてみた。タイトルイラストや上のイラストご参照。

「丸木弓」という単なる適当な太さの木の枝を利用したものから、「弓胎弓(ひごゆみ)」といわれる割り竹を芯に、左右に木材を、前後に竹を貼り合わせた合板製までいろいろある。
合板は弾力性には優れているものの、剥がれることもあるので籐をしっかり巻いて補強!見た目にも美しい。

「白弦」は麻をより合わせ薬楝(くすね)でよくねったもの。
「塗弦」は「白弦」に漆塗装を施したもの。
向かって右の腰に付けているドーナッツみたいなのは「弦巻」といって予備の弦を巻いてある。
なにしろ猛スピードで矢を飛ばすので、少しでも傷がついたり折れ曲がった場合はすぐに交換!
※薬楝(くすね)とは...松脂(まつやに)と油を混ぜ合わせ、煮て練ったもの。
矢(矢尻)
矢柄に押し込む。当時は鉄製だが縄文、弥生時代は石・骨・銅を加工した。
下記の他にも円錐形の「じょうのお」、陣形の名前にもある「鋒矢」などいろいろある。
心やさしいわたくしですので、当たったら痛いだろうな〜と思い先っちょを丸く描いてしまった。(~_~;)
<征矢尻(そやじり)>
足軽使用。
<雁股(かりまた)>
二股に分かれている。
「鏑」は木・鹿の角で中は空洞。穴を空けると軽快に風を切る音がする。
<平根>
その名の通り平たい。
矢(矢羽)
真っ白いのは「白刃の矢」、黒褐色斑点があれば「切斑(きりふ)」という。
猛禽の中でも鷲や鷹、鶴、あといまでもそこいら辺でよく見かける鳥の羽を使った。
<三立羽>
同じ大きさの羽を三方に付ける。
足軽用。
<四立羽>
大小各一対を四方に付ける。
雁股用。
矢(箆)
矢尻と羽の間を「箆(の)」といい材料は篠竹を使う。
長さの単位は○尺○寸かと思っていたら、成人のにぎり拳一つで「一束(そく)」と数える。あまった分は指で「伏」。
平均の長さは12束だった。
空穂(うつぼ)背中に括りつける籐で編んだり革を曲げて円筒形にした矢入筒のこと。
金箔、朱漆、高級毛皮で豪華に飾った武士もいる。
平安・鎌倉・南北朝のころの矢入れは「箙(えびら)」といい、一口でいうと背板付き箱...ん...なんというか背もたれのある椅子の小さいのを座るところを向こう向きに背負う形。

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