homereports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
A spear/槍の話


戦場の主役
武器の原点ともいえる棒切れに武器を結わえたモノは原始時代から世界中で使われていた。獲物を追ったり、他の民族から集落を守っていたのだ。当然最初は先の尖った石であったモノが青銅になり鉄になり進化してきた。
日本での槍の歴史は弥生時代に大陸から伝わり「鉾(ほこ)」と呼んだ。平安時代にも盛んに使われ主力の座を占めてきたが、鎌倉時代になるとほとんど薙刀(なぎなた)や太刀にとって代わられ一時期姿を消す。あの弁慶も大薙刀を振り回し暴れていた。
敵対する相手に焦点を合わせたときには「鉾先を向ける」などという。
ところが、鎌倉時代の終わりから南北朝にかけて穂先のスマートな槍が登場する。
ええ...なんでまたあ〜?戦い方の形態が変わったのだ。
いままで名乗り合いの一騎打ちが当たり前の個人戦が徒武者を主体とした団体プレイとなった。そうなると統率のとれているチームはさすがに強い!武将は「孫子」の兵法を学び、さらには研究し次から次ぎへと新しい戦法をあみ出していった。
それから甲冑の素材が革になり、敵を斬り殺せなくなったのも復活の要因のひとつ。

研究・開発
使いやすく適材適所でもっとも有効な槍が模索され、中には長さが三間半(約6.3メートル)などという、とても自在に振れないようなモノまで登場した。当時は男子の平均身長が160センチにも満たなかったといわれるので持って歩くだけでも大変だったには違いない。
騎馬武者は短めの一間半(約2.7メートル)から二間(3.6メートル)のものが便利だった。
さて、我々でも普段の生活の中で、長い板や棒を持ったり担いだりしてみるとこれがなかなか重心をとるのに難しい。(><;
本来槍は石突から穂先に向かって細くなっている、重心をとるという比率の関係からも、柄が長くなればなるほど穂先は小さくなる。
図を参照すると「太刀打」と呼ばれる箇所があり一般的には麻ひもをグルグル巻きにしてあり、敵の槍や太刀を払ったり逆に頭を思い切り叩いてやったりする。
「あいつにはとうてい太刀打ちできないよ」なんて使ったりする。
質を高めるために麻ひもの上から黒漆で塗り固めたりもした。これは叩かれたりしたらさぞかし痛かろう〜。
「石突」は槍を立てるときに地面に突き刺したり、自在に操ることのできる腕利きの猛者は巧みに敵を打ち据えた。
※上の図は足軽用。

穂先いろいろ
笹穂(ささほ)
その名の通り刃先が笹の葉の形をしている。一般的で雑兵、足軽が使った。
菊地
穂先が片刃になっている。
十文字
両刃の両側に刃が上向きについている。
千鳥
両刃の両側に小振りの刃が上向きについている。
沢瀉
沢瀉という名の水草の葉の形に似ている。両刃の両側に小さめの刃が下向きについている。
上がり片鎌
片側に小さな刃が上向きについている。小さな刃は太刀受けの役目。
下がり片鎌
片側に小さな刃が下向きについている。

柄の材質はなんだろう
桜や樫などの堅い木が使われた。ところがこれは結構重いのが難点。
次に登場したのが、厚めの竹をパカッと割って細長く加工したモノをニカワでくっつけた「打柄(うちえ)」と呼ばれる槍だ。こちらは軽い上丈夫、しかし何百本と大量注文するので製作に手間がかり手元に届くまでに時間がかかった。軽量なので先がしなったりもする。

取扱い方指南
基本的な構えは背筋を伸ばし気持ち重心を前にかけ、両足を踏み出しやすいように曲げる。
※詳細はしばらくお待ちください
用途いろいろあり。物干竿・天秤棒・秤(はかり)・堀や小川を棒高跳びのように飛び越える。物干竿としても代用できる。

戦い方指南
なんといっても主力武器。まさに、どれほどの使い手であるかが生死を分ける。
叩く
穂や先端部分太刀打で思い切り叩くと、巧くヒットすると脳しんとうを起こさせたり、打撲もおわせたりできる。
払う
敵の繰り出す槍を払い間髪をおかず反撃に転ずる。
突く
足軽同士も突き合い闘うが、もっとも有効な方法はのは、突進してくる騎馬武者の馬のお尻や腿を「ブスッリ!」刺してみる。
当然馬が驚いて竿立ちになり武者は万有引力の法則により落馬する。とそこで大勢で取り囲み落馬武者を「○△□」とやっつけるのだ。但し、武者をやっつけても槍を引き抜く閑がない。
どこを狙えばよいか。甲冑の性能が良くなると隙を見極めなくてはなるまい。
まず、脇の下、腕の内側、足などが急所になるが、そもそも即死者よりもキズがもとで亡くなってしまう方が多かったらしい。

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