homereports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
Wadoukaichin/place of the Japanese coinage origination
和同開珎/日本通貨発祥の地

山中に突如現れる「日本通貨発祥の碑」と和銅沢 山腹にある露天掘の跡
尾根から続く露天掘の跡 山腹行き止まりに建つ「和銅開寶之古跡」と書かれた碑
武甲山(1304)と秩父市/石灰採掘で山容の変貌が著しい 今度は和銅採掘遺跡へ下る/製錬所跡は次回
採掘穴が2つ/かぼちゃリュック(中央)と比較してみる 右側の穴の中/声の反響から考えるとそうとう深そう

住所:埼玉県秩父市黒谷

車道からしばらく美の山ハイキングコースを下ると、推定4mくらいもある大きな碑が現れるので「わっ!」と驚く。(笑
露天掘跡へは階段がついているものの、上の方は倒れた木の根がガードレールの役目をしているという難所で、わたくしは下山時につまづいて転落しそうになるも、すんでのところで踏み止まった。(ホントに危なかったよ

和銅遺跡<案内板参照>
秩父が史上で有名になったのは、奈良時代に和銅奉献の記事が続日本紀(しょくにほんぎ)に現れてからである。元明天皇の慶雲5年(708)正月12日、武蔵国秩父郡内より差出された自然銅は郡司から朝廷に献上されたもの。発見者は新羅から帰化された「金上旡」といわれている。
発見地や産出地などは諸説あるが、この秩父市黒谷地内(旧原谷村大字黒谷)祝山が発掘の地と思われる。この山は秩父古世層と第三紀層の合わさり目で、たまたま自然銅が地上に露出したものを里人が見つけたものだが、帰化人も多く住んでいたことからこれが銅とわかったようだ。この山や付近に派露天掘跡や銅洗堀りとか、殿地、和銅山という地名が残されている。また近くに自然銅を神体とする聖神社や和銅宝物館がある。和銅山の南方山続きに金山と呼ばれる一連の山塊があり、江戸期に採掘されたものと推意される選鉱場製錬所跡や散在するタガネ掘りによる横穴坑(写真参照)などあるが和銅沢、蔵人屋敷の地名もこの辺りに残されている。
和銅奉献によって朝廷は年号を「和銅」と改め、さらに大赦や課税の免除などをおこなった。この後、わが国初の貸銭「和同開珎」が鋳造された。

2004/12/19
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