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住所:埼玉県上福岡市福岡 3-4-2 新河岸記念館 |
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新河岸川の舟運は、寛永15年(1638)川越の大火で焼失した仙波東照宮の再建資材を、江戸から新河岸川で運んだのがはじまり。
舟運が本格化したのは正保4年(’47)ごろといわれ、その後近隣農村の開拓により農業が発展すると、一大消費地江戸とを結ぶ物資輸送の中継地点として多くの河岸場が設置された。 |
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福島河岸は、川越から新河岸川・荒川・隅田川の河川を使い江戸浅草花川戸(現:東京都台東区)に至る舟運の河岸のひとつで、享保18年(1733)ごろから福島村のひとびとが回漕業を営み、安永2年(’73)には福田屋・吉野屋・江戸屋と3軒の船問屋が幕府から公認され、仲買商を兼ねながら船問屋を営業した。
対岸の古市場河岸とともに大いに栄え、明治の中ごろ最盛期を迎え、昭和初期まで≒300年間続いた。 |
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2004/11/13 |
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