homereports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
hatta/八田家/御朱印屋敷と書院

書院玄関/木々に囲まれた書院(左列)
表門/廊下にある虎の図柄の板戸(右列)

住所:山梨県笛吹市石和町八田

八田氏は八田権頭宗綱(常陸国・宇都宮氏流)の末裔とされるが詳細は不明である。戦国期に武田氏に仕え、信玄の頃は蔵前衆の要職にあった。家重のときに一宮町末木の地を武田氏から拝領し姓を「末木」に改めたが、武田氏滅亡のあとも徳川家康の庇護を受け、末木政清は「八田」に復姓した。天正11年(1583)4月、兄・政清が、同9月には弟の新左衛門尉が棟別の免許を受けている。
新左衛門尉には男子がなく、政清の二男・政俊(菅太郎)が両家を相続し、名字帯刀を許されるとともに、3400坪の屋敷地が御朱印地として安堵された。現在の八田家屋敷地は御朱印地の西の一画で、旧笛吹川に面する北辺には高い部分で約2Mある水防堤を兼ねた土塁が残る。
八田家の由緒書きによれば、天正10年(1582)3月織田軍の兵火により建物はことごとく焼失してしまったという。しかし徳川幕府より万力(山梨市)や富士裾野の木材の使用許可を得て建物は再建された。現存する書院は慶長6年(1601)に造られた。

朱印とは
戦国期から江戸初期にかけて武将が、政務や軍事などの命令・許可を証するために文書に用いた朱肉印。古くは禅僧の発給文書に用いされたが、特に戦国期に東国大名が花押の代わりに用いた。「朱印地」は朱印状によって所有の保障された土地で、寺社に下付された例が多い。

2005/11/13
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