住所:東京都中央区佃島公園_石川島灯台跡の裏(人足寄場跡) |
|
日本橋川はかつて神田川本流であったといわれ、飯田橋から隅田川に合流するまでの間をいう。
昭和60年に東京都が日本橋川右岸(千代田区九段南)の改修工事をした際、雉子(きじ)橋付近(首都高速・竹橋JCTの近く)から発生した石垣の一部。
江戸時代には雉子橋門があった。
徳川幕府は江戸城およびお濠や石垣工事にともなう石材採取をおよび運搬を中国・四国・九州の大名に命じ、主に伊豆半島の東海岸より切り出した。
石には関わった大名家の家紋や組頭・石工とうの目印が刻まれているものもある。
現在は佃公園に移されているのだ。 |
|