日本三奇橋のうちの二奇橋/錦帯橋・猿橋

岩国市の”錦帯橋”・大月市の”猿橋”・木曽川にかかる"桟(kakehashi)−現在は遺跡のみ−"とともに日本三奇橋といわれる。
奇妙な橋ということで選ばれているわけだが、橋梁工学上にみて「こりゃ面白いな」ということらしい。
※富山県宇奈月町の黒部川にかかっていた”愛本橋”を合わせる場合もある。
俗称「そろばん橋」といわれる”錦帯橋”、錦川にかかる長さ210M・幅5M・桁下10.3M。5個のアーチはクギを使わず、木組みにより連結した巻き金とかすがいを用いた特殊技法による構造となっている。
延宝1年(1673)岩国藩主の吉川広嘉が、藩庁のある横山と錦見(nishimi)を結ぶ城門橋として架設した。以来20年ごとにかけかえられてきた。1950年のキジア台風で流出したが、'53原型通りに復旧された。付近はサクラの名所であり、夏には鵜飼が行なわれる。
山梨県大月市の甲州街道(R20)で桂川を渡る。ここにあるのが”猿橋”。 
猿橋は、長さ約33M・幅3.3M・桁下33M。無橋脚の刎木(hanegi)橋−肘木(hijiki)橋ともいう−で、奈良時代に百済の造園博士・芝耆麻呂(shikimaro)が藤つるにつかまって川を渡るサルを見て発案したと伝えられる。 
下から眺めると、谷が深く橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支えている様子がよく解る。う〜ん、21世紀においても斬新なデザイン。 
そうだ、そういえば少し前に官と橋を建設する会社との談合事件が問題になった。大月市と東京よりの上野原市の間に”談合坂”なんてアブナイ名前の坂がある。(笑 
諸説あり、近郊の村の寄り合い場所であった・戦国時代に北条氏と武田氏が和議調停などの軍事的な交渉ごとをした・ 武田信玄の娘が北条氏に嫁すことで約束事を話し合った...とうとう健全な談合だね。 
たしか、桃太郎が家来に団子を配った...という説も聞いたことがある。
 

photo:荒賀源外さん
2006/8/29
Back
Home