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古今の英雄をご紹介


和気清麻呂<kiyomaro wake>
□東京都千代田区気象庁前
□天平5−延暦18(733-99)
□奈良末・平安初期の官僚

垂仁天皇の皇子鐸石別命(ぬでしわけのみこと)を祖先とし、代々備前地方を根拠とした豪族。人物は剛直ばかりではなく、有能な実務家であった。
'764恵美押勝の乱に功績をあげる。神護景雲3('69)輔治能真人(ふじののまひと)姓を賜り、因幡員外介となる。同年宇佐八幡神託を請う勅使を代行。無道の人を除くべしという神託奏上が道鏡の怒りをかい、名を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)とかえられて大隅に流された。宝亀1('70)許され職に復帰、播磨員外介。'74和気朝臣姓を賜り、備前美作国造となる。
'82桓武天皇の命で着手した長岡宮へ移幸の前後次第司をつとめる。だが10年たっても完成せず出費はかさむばかり。長岡宮を提唱していた藤原種継が暗殺され工事は中止。のちの平安遷都に際しては、以前から狩猟にかこつけ山城国葛野(かどの)の地を視察、新京を造営することとし、造宮大夫として手腕をふるった。
'88河内・摂津国の境、荒陵の南(大阪府天王寺南河堀町付近)に堀をほり淀川の洪水を防ぐことを奏請し許され、みずから人夫23万人を使って行うが失敗した。また同じ年出身地の河西百姓170余人の願いをうけて、実情にあった郡の再編成を申請し許可される。
地方出身の武官として中央に登場したが、学識に富み、「民部省例」20巻、「和氏譜」を編纂。
photo:あられ


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