schloss neuschwanstein
ノイッシュヴァンシュタイン城



ヴァイエルン国王、ルードヴィヒ2世(1845−1886)によるロマンティック街道のハイライト白亜の豪華な古城。
ノイッシュヴァーンシュタイン城をはじめ、ヘレンキームゼー城(ヴェルサイユ宮殿がモデル)・リンダーホーフ城(ロココ風)を建設した。建築期間は1873〜86年(他の城も含む)、総工費は≒250億円(現在の購買力に換算・他の城も含む)、といわれる。
一般には、築城マニアがこうじてヴァイエルンの国家財産を危うくし、退位を迫られたとゆうのが通説だが、その後の研究によると私有財産で賄っていたのだという。いくら王室費から出ているとはいえ、国王は莫大な借金を抱え金策に苦慮していた。債権者のある者が裁判所へ訴えを起こすと、このようなありさまではいつ大きなスキャンダルが持ち上がるかもしれないと、大臣たちは再三にわたり、工事の延期や中止を申し入れたが、すでに築城にとりつかれたルードヴィッヒは聞く耳もたずで、逆に、大臣罷免権や任命権を振りかざし反撃に出ようとする。こんなキケンな王には早く退位してもらい、叔父にあたるルイトポルト公を摂政にと、政府も王家も望んでいた。
ただただ後世には「浪費」と伝えられ、国家財政は破綻の危機に瀕したとか、使い果たしたという話になってしまったようだ。
たとえ国費で築城されようとも、ヴァイエルンはビクともしないほどリッチな国であった。
普墺(ふおう)戦争で墺太利(オーストリア)側に立ったが、やる気のないルードヴィッヒ2世率いるヴァイエルン軍は負けてしまい、戦勝国のプロイセンに≒250億円(築城額と同等程度)の賠償金を、戦費も多くかかったあとであるにもかかわらずさっさと支払っている。
世のためひとのためになっている。
建築事業は工事に携わる人々を潤し、結果世間にもお金が回る。もっとよいことは、豪華な造りにするほど”金”が国内に留まることになる。さらに、現在年間250万人を上回る観光客のおかげで、国庫は助かり充分に元はとっているはずだ。


photo:華帯畄さん


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