place de la bastille
バスチーユ広場




【革命中に市民がバスチーユ牢獄を奪取し政府や貴族は戦意消失】

そもそも、パリ東部にあった城砦。1370年、百年戦争中、シャルル5世がサン・ポール宮殿を守るために作らせた砦で、形は四角形、高さ23mの塔が8つ聳えていた。
17世紀から牢獄として使用され、主に身分の高い政治犯を収容した。18世紀半ばまでは、有名な鉄仮面やサド侯爵とうも収監されていたが、革命直前には建物は老朽化し、収容されている囚人も僅かで、国王専制のシンボルとして残っているに過ぎない状態であった。
フランス革命時、1789年7月14日に市民により襲撃されたとき囚人は7名、護衛は番兵が32名と退役軍人82名がいた。フランス軍の兵士は革命側につき、バスチーユに大砲を向け、双方合せて171名の犠牲者を出し陥落。すぐに建物は解体され、その石は模型となって各地に送られた。
現在は、広場の敷石に平面図、地下鉄バスチーユ駅に”牢獄東堀跡”の碑が残される。
広場の中央に聳える写真の記念柱は、のちの7月革命の犠牲者に捧げられたものである。
バスチーユの記念柱のレリーフと頂の像


photo:酎隊長
昭文社「個人旅行21パリParis」を参照


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